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まずは1年続けよう

1年続いたらブログ名どうしよう

酔ってみた

 先日、自分の酔っぱらい具合の最高値を更新した。

 意識しても身体が動かない、という経験をした。旧劇エヴァエヴァを動かそうと必死に発狂しながらシャコシャコしまくるアスカの気持ちが解った。

(参考:6:50あたり)

www.youtube.com

 

 酔いによって自身の意識が異常になることを自覚することはできない。当たり前であるが、意識は1つしかない。人間には2つの意識を同時に持てない制限があるようだ。「自分は酔ったことで異常な精神状態になっている」と思うような、その異常な精神を観察する別の意識は持てない。このような判断を下すことは確かに可能であるが、それは意識自体を直接見ての判断ではなく、意識以外のものを見ての間接的な推論にすぎない。例えば、身体のふらつきなど生理的な変化を確認することによってである。しかし、これを確認する時もそもそもその意識が正常であると言えるのかは解らない。仮にその時点で正常でなければ、「異常になっているな」という推論すらも怪しい物になる。


 酔っている状態に限った話ではないが、我々は自身の精神が正常であるとも異常であるとも常に判断できない。「私は正常でない」と言うと面白いことになる。この言明が真ならば、私は正常でないことになるが、正常でない者の主張はその整合性が疑われる。故に本当に私が正常でないかは判断が難しくなる。もし「正常でないものの主張は必ず偽である」という命題が真だとすれば、これは嘘つきのパラドクスと同じことになる。どうにかするには多値論理を導入しなければならないのだろうか。残念ながらそうなると考察を進められない(多値論理とか解らん)

 

 結局、「私は正常だ」と思っておくのが論理的には一番明快なのである。これが真ならば、正常な私が正しいことを言っている、となるし、仮にそれが間違っていたとしても、正常ではない私が間違った主張をしている、というのにも特に引っかかりを感じない。「私は正常でない」と言ってしまえば前述した通り非常に込み入ったことになってしまう。

 

 というわけで、はい、私は正常です。

 

 …ところで、先ほど人間は精神を2つ以上持てないと言ったが、もし精神が3つくらい常に並列して動いていたら(それらは互いに独立)どうなるのか、というのを想定すると非常に面白い。これについては独立した記事を書いてみたいと思う。

 こう考察してみて、特に目新しいことや斬新な考えは浮かばなかったわけだが、「酔い」について思いを馳せることで意識のあり方や自己言及、多値論理やらに飛べるのは面白い。Wikipediaで適当な記事からまったく関係のないことについての記事に数回リンクを踏めば辿り着く感覚に近い。今回はそんな離れてなかったけど。

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