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美意識について

 よく筋肉をつけなさい、と人に言われる。私は「痩せすぎ」の部類に入るからである。もちろん彼らは私の不摂生を案じて助言してくれている。しかし、中には筋肉に美を感じる人もいるようだ。「肉体美」というとやはり筋肉質な肉体を指すのが一般的だ。そうした主張は理解できるが、私は正直そうした肉体に美を見いだせない。

 むしろ、病的にまで痩せ細った、摂食障害の人々の肉体が美しいとすら思う。

 

 こうした美意識はもっと根本的な要素に対する意識に還元できると思う。例えば、筋肉質な肉体が好きな人というのは、おそらく「健康」「力強さ」といった要素が好きなのだろう。さらに還元すれば、「生」を好むと言えるのではないか。

 では、私のように痩せ細った肉体への美意識、これは逆に「不健康」「弱さ」といった要素が好きなのだろうか。となると「死」を好むということなのだろうか。

 これには合点の行く所はある。私は廃墟のような人の生を感じさせない場所が好きだったり、一般的に死を連想させる光景や絵画が好きだったり、虫けらのような弱い存在が好きだったり。だが、そうした要素だけに還元できるわけではないと思う。

 

 私は「ギリギリ」が好きである。待ち合わせ時間などは余裕があってもギリギリに到着するようにしたいし、やらなければならないことがあっても本当に危機的状況で、これ以上余裕がなくならない状態に片付けたいと思う。痩せ細った人間はギリギリ生きている。「ギリギリ」というのをはある意味で「無駄がない」。必要最低限の程度、少しでもそれを下回ったら成立しないような状態。痩せ細った肉体は生きるのに必要最低限のものである、そこを愛好しているのかもしれない。

 

 とりあえず自分の美意識の分析を終えるとして、では何故このような美意識が醸成されたのか?「死」の匂いが好き、というとそれこそ精神をこじらせた一般的に"痛い"傾向である。それは置いておくが、これは確かに自然な感性ではないと思える。なぜなら人間は本能的に生を求めるからだ。しかし逆に言えば、「生」の匂いが好き、というのは本能が働いているからにすぎないのか、と言われるとそう断定することは出来ない。その理由を導き出すのは中々大変そうである。

 

 しかしどうしても気になるのは、何故このような美意識が形成されたのか、である。まず先天的なものか、後天的なものか。先天的ならば話は早いが、後天的なものならば、どうしてこうなったのか…"中二病"として処理してしまえば簡単だが…