まずは1年続けよう

1年続いたらブログ名どうしよう

素晴らしき停滞

 特に独り言のない私です。やはりブログをやるのに際して「他者に発信する」という意識があることは重要ですね。正直それがなければ私はここ最近更新を怠っていたでしょう。そんな感じで、まぁ特に現在は言葉にしたいような何か強い思いを抱いているわけではない私であります。様々なブログを垣間見してみると、大体コンスタントに続いているブログは相互読者登録みたいな小さいコミュニティに属しているように見えます。やはりネット上であろうと、人間は他者との繋がりが色々と動機になってくるんだろなーと感じられます。

 

 それはともかく、自分のこの状態に「無気力症」などとネガティブなイメージをもっていましたが、考えてみると別にそんなことないですね。単純に不満が特に無い日々が続いているので、感情が揺れること無く動いているだけの状態です。

 人間は理性を働かせるのにも結局は感情が原動力になりますからね。最初から理性だけで出発しようとすると、自分の生命に危機が迫りでもしていないかぎりは「とりわけ考えることはない」って状態が続きます。生命の危機…というのが原動力になってしまえばそれは理性から出発しているとは厳密には言えないので、正しく言うと、どうなろうと別に考える必要に駆られることなどないんじゃないですかね。

 

 例えば学問全般なんかも漠然としながらも「知りたい・進歩したい」という意志が不可欠ですし。

 

 まぁ悪く言えば今はそういった向上心がない停滞した状態と言えますが……自分で言いましたけど、何故「悪く言えば」なんでしょう?この場合どこから「悪」とでてきたのでしょうか?

 その「悪」というのは、人類という種にとって悪なのでしょう。向上心がない人間は、人類全てを敵に回すことになると思います。

 向上心のない個体が生存しています、そして彼が仮にその遺伝子を残すとします、すると次代の進歩率は勿論下がります。おそらく人類はそれが許せないのでしょう。

 

 まず、「何故、人は生きようとするのか」と似た疑問として、「何故、人類は進化を望むのか」というのも湧いてきすね。前者の疑問が払拭出来たとしても、後者はまだ疑問として残ります。生きるだけでいいなら進化する必要は無いじゃないですか。

 おそらく、本当の目的は「生きようとすること」だけであり、「進化をすること」は決して目的ではなく、手段にすぎないんじゃいですかね。原初、人類は生きることが困難であったから、進化せざるを得なかった。だから別に生きることが達成できているなら進化の必要はないと思います。

 しかし、何故進化はとまらないのか。それは人類の足並みが揃わないからですかね。例えば、個体Aが生きることに困らない状態担っている時、個体Bは困る状態になっている。この時Aは進化をやめるが、Bは進化をする。結果としてBは進化を達成し、Aよりも生存に有利な状態になった。ここで状況は入れ替わり、Aが生きるのに困る状態になった、そこで今度はAが進化をはじめる、一方Bは進化をやめている…するとまたAがBを上回り…みたいな。

 イタチごっこなんすよ。だから進化がとまらない。さらに、自分が進化をやめると抜かされることが解るから、本来その状態なら進化の必要のない(生存に困らない)人も進化を止めない、結果としてさらに進化が進む…

 

 わからなくなってきました。個人は、人類全体の利益のために、他人に不利益を与える。人類に属する他人に不利益を与えることは人類全体に不利益を与えることと同義ではないのか…?

 個人は個人のために生きているように思えても、結果としてそこで得た利益は人類に還元されている(遺伝子的に)…のか?

 

 うあ~^こんがらがった。駄目ですね。何から出発したかも忘れてきました。とりあえず、「何故生き続けたいようになっているのか」が解らん状態では解りませんな。

 そしてまた脱線するんですけど、そう考えると「自殺」って面白いですね。完全にバグじゃないですか。思うに、自殺の根本動機にも「生きたい」っていうのがあるんだけど、「生きるためには死ななければならない」みたいな矛盾した状況に陥ってしまうプログラミングミスがあると思うんですよね~人間には。「生きたくないから死ぬ」ってのは実行不可能なんじゃないかなというのが持論です。

 

 さて、なんだっけ、自分が無気力な話だっけ。はい、というわけで自分は特に今生きるのに困らんので進化してないだけです。これ見て「ゴミが」って思う人は人類のためにがんばってください。粛清はしないでください。見逃してください。